それまでバイクというものにはまったく興味はなかった。
クラスの奴等がバイクのカタログを見ているのを横目でみながら「16で乗れるの?」
すると、「ナナハンだって乗れるんだよ」
すごいなーと思いながらもとてもとても買えない。
私にとっては1000円だって大金だからだ。
そうこうしてるうちに早い奴等は新聞配達のアルバイトをしてCB400T ホークⅢに乗って学校に来た。
オレも乗ってみたい。
友達から「オートバイ運転教本」を借りて来る日もくるひも食い入るように読みあさり分からないことは友達に質問していた。
11月のある日、クラスの奴等が原付を取りに行く話をしていた俺も連れて行ってくれるよう頼んで本屋で試験問題を買い勉強を始める。
必要書類の入手方法・書き方 代書屋ってなんだ?
写真は写真が趣味の友達に撮ってもらって現像 プリントもしてもらった もちろん 証明写真は白黒だ。
ベットの上に寝転がり標識を覚えたり、問題を解いたり 一ページづつ大事に勉強した。
合格点が取れない時は不安になった。
だから一ページづつ大事に勉強した 全10回の模擬試験を終えると間違えたところだけ印をつけておいて繰り返し回答し直した。
苦手なところは何回やっても間違える。
当時はSUZUKIはRG50G やYAMAHAはRD50 そしてHONDAはCB50からMB5を投入してきたそんな時代だった。
当時はバイク乗りのあこがれの職業がプレスライダーだった。
プレスライダーは当時、報道関係者として新聞社の原稿やフィルムを事件現場から新聞社に運ぶ役割を担っていた、まだ現在のようにインターネットはもとよりファックスすらなかった伝書鳩より確実で重宝された。
時には芸能人を運ぶこともあった。
プレスの人が乗っているZⅡやZ1000mrkⅡがかっこよかった。
今と違い国内ではナナハンを超えるバイクは逆輸入以外に購入できなかったし免許も教習所では400ccいわゆる中免が最高だった。
12月28日 仲間とともに原付免許を受けに行った、午後4時最終の合格発表「今年も今日で終わりだから全員合格にしろよ」なんていう悲痛な声も聞こえてきた。
オレの受験番号にも明かりが灯り免許証交付は正月休み明けの一週間後という事になった。